韓国の同一諺:웃으면 복이 와요(ウスミョン ボギワヨ)
直訳の意味:笑うと福が来る
웃으면:基本型웃다(笑う)の仮定形
복:福
이:主格助詞(日本語=が)
와요:오다来るのヨ形
諺から見る日韓の情緒の差
まったく同じ意味ですが日本では『門』が使われ、
福が個人としてくるのではなく『門』の意味の『一族』『一家』に来ると指しています。
実はここに日韓の大きな情緒の差があります。
日本では「家」を絶やさないため、また「家業」を継続するため
婿養子などの養子制度が盛んに行われて来ました。
血のつながりがなくとも可という日本的伝統は、血のつながりを重視する韓国社会と違う両国の文化と国民性が生まれた一つの原因だと思います。
日本人は自分の代で「家」と「家業」を絶やすことは
人間として『恥』と『無責任感』と思い、
また悠久な時間の流れの中で自分はこの家をつなげる一人のランナーとして認識し
、個人の幸せより家とその家の子孫が末永く栄える事を願っていたのです。
このような違う文化が両国の諺にも表れていると思います。
妻にも営業をしなさい
営業とは自分の利益を求めるため
相手と親しい人間関係を築く行為だ。
それで持続的に連絡を図り、コミュニケーションをしなければないらない。
自分の楽しさより、相手の楽しさを優先しなければならないし
時には一緒に遊んで、時には我慢しないといけない時もある。
このように相手に気に入ってもらってからこそ
自分にも最大の利益が入るわけだ。
妻は人生最大のパートナであり、クライアントでもある。
妻とのコミュニケーションに失敗すると
家庭生活、食生活、性生活などが苦しくなって、人生の質が落ちる。
供に仕事の質も落ちる。
この様に一番重要なパートナを余りにもないがしろにしている人が多い。
だから夫たるものは妻に営業をしなといけない。
この言葉はたまに会って、お酒を交わす大学同窓が言った言葉だ。
その友達は一回事業に失敗して、人生の辛酸を 舐めたので
日常の何気なさの有難さが分かる、自分なりの哲学がある友達だ。
お酒が入ると口数が多くなるが(いやお酒がなくても口数が多い^^)
ただ,しどろもどろするのではなく
哲学がある話をするので学ぶ事が多い良い友達だ。^^
友達よ!今日もお互いに
『妻が何かをしてくれるかを求める前に妻のために何をしようか』を
考える日にしよう ^_^;
아내에게도 영업을 하라
영업이란 나의 이익을 위해
상대방과 친한 인간 관계를 유지하는 행위이다.
그래서 계속적으로 연락을 해 커뮤니케이션을 해야 한다.
내 즐거움보다 상대방의 즐거움을 우선해야 하고
때론 같이 놀아야 하고 참아야 한다.
이런게 상대방에게 잘 보여야
나에게도 최대한의 이익이 들어 오게 된다.
아내는 인생 최대의 파트너이자 크라이언트다.
아내하고의 커뮤니케이션에 실패하면
가정생활.식생활.성생활이 괴로워져서 삶의 질이 떨어진다.
삶의 질이 떨어지면 일도 안된다.
그런 가장 중요한 크라이언트를 우린 너무 소홀히 하는 것 같다.
그래서 남편은 아내에게도 영업을 해야 한다.
이 말은 가끔 만나 술 한잔하는 대학 동창이 한 말이다.
이 친구는 한 번 사업에 실패해서 엄청 고생을 한 친구라
일상의 소소한 고마움을 아는 자기 철학이 있는 친구다.
술을 마시면 말이 많아지지만 (아니다 술을 안 마셔도 말이 많다 ㅋㅋ)
철학이 있는 좋은 말도 많이 해서 배울게 많은 좋은 친구다.
친구야 오늘도 서로
『아내가 뭘 해주길 바라기 전에 내가 아내를 위해 뭐 해줄까』를
생각하면서 보내자,,ㅋㅋ
智に働けば角が立つ情に棹(さお)させば流される.
理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、
他人の感情を気遣っていると、自分の足元をすくわれると言う
夏目漱石の有名な言葉だ。
最近妻にいい人を演じないで角を出してと言われる。
自分なりには『能のある鷹角を隠す』をもとてやってきたが
人間社会そうは問屋が卸さない。
確かに今までの人間トラブルも
相手に舐められた、自分が招いた事が多い。
という反省で最近大学の集まりで
自分の出番もないのに、呼ばれてもないのに
雰囲気を盛り上げようと自分をアピールしようと
自ら申し出てゲームを進行した。
しかも2回連続。
さすが2回連続はまずかったようで
先輩から後輩の出番をつぶさないでと言われた。
何でもやり過ぎは良くない。
角を隠すのも出すのも何でも程ほど!
御免なさい先輩!
이성으로만 살면 충돌하고 정으로 만 살아도 당한다는
夏目漱石라느 일본의 유명한 소설가가 한 말이다.
최근 아내가 최근 착한 척하니까
상대방도 우습게 대하는 거니까
좀 가시가 있게 살라고 한다.
일본 속담에 능력있는 독수리는 손톱을 감춘다는 말대로
나 나름대로 그렇게 행동했다고 생각하는데
세상은 그렇게 안 보고 우습게 보는 사람이 있었다.
그런 반성으로 최근
나를 어필 하려고 대학 모임에서 스스로 게임을 진행을 했다.
그것도 2회 연속.
그래서 선배한테 후배의 자리를 뺏지 말라고 말을 들었다.
過猶不及
모든지 지나친 것은 부족한 것보다 못하다.
자기를 감추는 것도 내는 것도 정도껏 해야 한다.
중학교에 막 들어간
아들이 울상이 되어서 들어 왔다.
학교의 친구 몇 명이
이지메는 아니지만 말이 거친가 보다.
감수성이 예민한
아들은
고등학교를 시험쳐서
바꾸겠다고 한다.
6년전에 딸도 똑같은
일이 있었다.
그래서 남이 무시하고 말을 막하는 것은
만만해서 그러니까
1등을 하면 못 할 것이라 했다.
그후로 딸은 최고의 성적을 유지하면서
하고 싶은 것 하면서 중.고등학교를 보내고 있다.
하나님은 축복을 하시기 전에 꼭 시련을 주신다.
그 시련을 이기기 위해 노력하면
좋은 찬스가 되어 손정의도 될 수 있지만
시련을 스트레스로 받아들여
피하고 도망가면
아무 성장도 발전도 없다.
2차 성징이 나타나는
시련의 시기를
잘 해쳐나가길 바란다.
中学校に入ったばっかりの息子がある日メソメソしながら帰って来た。
学校の友達の何人かがいじめではないが言葉づかいが荒いから
傷ついたようだ。感受性の鋭敏な息子は
高校受験をして変えると言い出した。
6年前にも娘も同じ様な事があった。
それで人が無視できないようになんでも1位を目指せと言った。
その後娘はずーっと最高の成績を維持しならが
思い存分の学校生活を送っている。
神様は祝福の前に必ず試練を与える。
いじめなどの試練を乗り越えようと努力すると
孫 正義になる可能性も与えるが
試練をただのストレスとして考え
避けて逃げれば
何の成長も発展もない
2次性徴が出る
試練の時期を
上手く乗り越える事を願う
社長になって 사장이 되서
金持ちになって 부자가 되서
外車を乗り回して 외제차를
몰고
美人と豪遊する事。 미인과 호유하는
것.
このような一定の基準を満たして 이런 일정의 기준에 도달하는
것을
ゴールに到達することが成功だど思った。성공이라고
생각했다.
しかし 그러나
仕事ばっかりして健康を害したら 일만해서 병이
나면
遊びぼけて家族が崩壊したら 놀기만해서 가족이
붕괴되면
友達を優先して子供との 친구를 우선해서
아이들과의
大切な時間を逃がしたら、소중한 시간을
빼았기면,,,
成功どは 성공이란
到達すべきゴールではない。도달해야할 골이
아니다.
健康的、経済的、社会的、愛情的に 건강, 경제,사회,
애정적으로
バランスを取りながら 벨런스를
유지하면서
自分が 자기가
昨日より変化し 어제보다
변화하고
成長しようとする過程を楽しみながら 성장하려고 하는 과정을
즐기면서
他人の幸福にも貢献することだ。타인의 행복에 공헌하는
거다.
その他人は遠い存在の人ではなく 그 타인은 먼 존재가
아니라
自分の中に存在する他人と 자기 안에 있는
타인과
一番近い他人だけでいい。제일 가까운 타인만으로도
충분。
自分は一人で자기는
하나고
時間は限られているから,,,시간은 정해져
있으니까...
1.韓国成人男が最も好きな話ながら韓国女性が一番聞きたくない話No1は"軍隊の話"だ。
韓国の男性は兵役が義務であり、嫌でも行くしかありません。
当然軍隊だから様々な経験と苦労をします。
その経験と苦労は軍隊という特殊な環境でこそできるものですから,
除隊後暫くは誰かに会うと男女関係なく軍隊での苦労話と経験を相手に話したがります。
一般的に女性は共感力とコミュニケーション能力が男性より優れているといわれています。しかし軍隊の経験がない女性はいくら軍隊の話を聞いてもその大変さも共感の出来る素材も一つも見つからないまま、返す言葉もなく一方的に聞くしかありません。しかし共感力が劣る鈍感な男性は嫌がるのも知らず延々と話す、、、
それで生まれた韓国人男女のすれ違いの悲劇(?)かも知りません。
韓国語の面白い懸垂幕1
内容
犯人は見なさい。すぐに自首するか!じゃなければ俺に電話しろ!
指紋をあちこち残したぜ!手切断される前に連絡、、、、
自首すれば:取られたお金だけもらう。
検挙されると:合意もくそもなく手切断される、、、
諺から見る日韓の情緒の差
まったく同じ意味ですが日本では『門』が使われ、
福が個人としてくるのではなく『門』の意味の『一族』『一家』に来ると指しています。
実はここに日韓の大きな情緒の差があります。
日本では「家」を絶やさないため、また「家業」を継続するため、
婿養子などの養子制度が盛んに行われて来ました。
血のつながりがなくとも可という日本的伝統は、
血のつながりを重視する韓国社会と違う両国の文化と国民性が生まれた
一つの原因だと思います。
日本人は自分の代で「家」と「家業」を絶やすことは
人間として『恥』と『無責任感』と思い、
また悠久な時間の流れで自分はこの家をつなげる一人のランナーとして
個人の幸せより家と子孫が末永く栄える事を願っていたのです。
このような違う文化が両国の諺にも表れていると思います。
韓国語;하루 강아지 범 무서운 줄 모른다.
意訳:相手の事をよく知らず、挑んだり、刃向かう者の例え。
使用の状況
新しい地域、団体、分野に引越、入団、チャレンジして、その地域、集団、分野の実力者が誰かわからないまま、新顔が実力者に挑んだり、トラブルになった時に実力者が言う言葉。
諺から見る日韓の情緒の差
日本列島にはトラはないですが朝鮮半島には昔からトラが沢山いて、身近な存在でした。
時には村に下りてきて人々を襲う恐ろしい存在でした。朝鮮を虎患の国といわれるほどその被害は深刻なものでした。身長が2メートルも超え、鋭い牙と爪で襲うと人々は成すすべがありませんでした。日本では恐ろしい存在もしくは厳しく当たる人を鬼と言いますが韓国語ではホランイと言います。호랑이
선생님(トラ先生)、호랑이 아버지(トラお父さん)などは今でも使われいてる単語です。そのホランイも現在は韓国では姿を消し、北朝鮮で僅かしかいないそうです。
諺から見る日韓の情緒差
同じ意味なのに日本は石、韓国は井戸を使っています。
この違いは日韓の自然環境の差があります。
日本は水の国といわれるほど水に恵まれ、あちこちで自然の泉と温泉があります。
しかし韓国は世界的に見れば恵まれてはいますが日本ほどではありません。
井戸を掘る仕事は根気よく、一か所を掘り続ける大変な仕事です。
短気の人は途中であきらめて新しい井戸を掘る者もいます。
しかし結果は同じ!結局一か所を掘り続けるのが水脈に当たる成功率が高いという事です。
逆に日本はなぜ石でしょうか?
あくまで私の推測ですが
日本の国歌にはさざれ石、日本独特の枯山水、石を用いる盆栽など
何も変化がないように見える無機質の石にも時間が経てばコケが生えるように、
日本には無機質の石を有機質の様にみる文化があったのではないかと思います。
それで、3年座っていれば何かが変わるとみていたのではと思います。
これはあくまでも私の推測です。